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ロシア侵略と核不拡散条約

ロシアの侵略と国連安保理と核不拡散条約


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2023/04/08の書き込み

相変わらずロシアがウクライナに侵攻しており殺戮と破壊をやめない。こんな情勢にしたのはもちろんロシアという国が一番悪いが、ロシアの横暴を止められない世界のシステムに最大の問題がありそうだ。今回はそんな視点で私なりに打開策を考えてみた。

1. 現在の世界情勢の私見

現在の国際社会で最も矛盾に満ちていて正しく機能しておらず、早急に何とかしなくてはならないのがロシア国と国連安保理と核不拡散条約だろう。どれもロシアが問題の根源みたいな気もするが、全てではない。他の国も少なからず問題はある。

その中でも特に核不拡散条約が一番問題が多く不合理だ。これは「俺たちは核を持って良いが、お前らが持つ事は許さん」という常識ではあり得ない内容だ。平たく言えば5ヶ国で核兵器を独占して世界支配を続けよう、というあからさまな意図が見える。核兵器を持つ国は持たない国を絶対に脅したり攻撃しない、また必ず核軍縮するなどと言う建前を隠れ蓑にしているが、現実にはロシアのウクライナその他の国に対する核による脅しは目に余る。さらに核軍縮どころか核軍拡している。

脅すだけならまだしも実際にウクライナに戦争を仕掛け、侵略して大虐殺し、国際社会には「手出ししたら核を使う」と公然と核で脅している。人道的にウクライナを助けたくても助けられない状況を作っている。

このような不合理で悲劇的な状況を作り出している元凶が核不拡散条約であり、さらにはこの核不拡散体制こそが人類や地球生命全体を絶滅させかねない危険をはらんでいると私は思っている。だからこの条約は即刻破棄して各国が独自に核武装できる様にするべきだ、と言うのが本論の趣旨である。核武装は各国の自衛権、生存権の範囲内だ。

核不拡散体制で一部の国が核兵器を独占すれば、多くの民主主義国にとって国防はNATOやアメリカのブロックに入りロシア、中国の脅威に対抗するしかなくなる。このような大規模集団安全保障体制になると世界は大きなブロックに分かれて対立する事になる。そして最終的には二大ブロックに分かれ対立するという最悪の事態を招きやすい。そうなると全面核戦争のリスクを増大させ、人類や各種生物の滅亡を招きかねないので非常に危険である。

世界がA-Bの2大ブロックだった場合、核戦争を起こすとAもBも消滅し人類や他の生物も絶滅するかもしれない。しかしA-B-Cの3ブロックならAとBが核戦争してもCが生き残り、絶滅は免れる。しかし核兵器は環境破壊範囲が大きいので、Cブロックもある程度の被害は免れない。

そこでA-B-C-D----X-Y-Zの26ブロックなら2つのブロックが核戦争をして絶滅しても地球全体への環境ダメージは軽微であり、地球生命の大半は生き残り、大きな損失ではなくなる。つまりブロック数が多いほど人類、地球生命の絶滅リスクは大幅に減っていく。

一部の非核団体などが叫ぶ核兵器全面廃止論などは非現実的であり、そんなのに囚われていると返って人類絶滅を招きかねない。これほどの環境破壊、非人道的で生物全体に対しても無責任なことはない。いかに現実的にリスクを最小化するかを考えるべきだ。


2. 核不拡散条約の罪

現在のような世界情勢を見ていると、北朝鮮の核保有に関する言い分は基本的な所では正しかった、と認めざるを得ない。例えばウクライナが核を持っていたら、そしてモスクワ、その他の都市への運搬手段(ミサイル等)を持っていたらロシアも侵略はできなかった。そうすればウクライナの国民が数十万人も死傷し、800万人以上が故郷を追われ、数百兆円もの経済損失を受ける事も無かっただろう。

だから核不拡散条約は廃棄し「核兵器保有は各国の自衛権、生存権の範囲内である」と認めるべきだ。インド、北朝鮮等による核不拡散体制(5ヶ国による核の独占体制)破壊の動きは世界の2大ブロック化を防ぎ、人類破滅のリスクを低減させる良い効果があるので歓迎だ。今回のロシア侵略で現体制の問題点が明確化した。ウクライナが受けた裏切りで、もうどの国も大国が核の傘で守ってくれるという約束は信じなくなった。どの国も独自の核武装が必要だと認識したはず。


3. 個人の銃所持問題と国家の核兵器保有問題の類似性

国家による核兵器保有問題は、個人における「銃の所持を認めるかどうか」という問題に似ている。アメリカは銃の所持が合法だ。だから多くの人が銃を持っている。そのため時には悲惨な事件、事故も招くが、良い面も多い。

例えば人が多く集まれば必ず「ならず者」もいるものであるが、多くの人が銃を持っていれば「ならず者」もうかつに強盗殺人したりはできない。なぜなら強盗する側にも反撃されて逆に自分が殺されるリスクがあるからだ。だから誰でも銃を所持できるという事は犯罪に対する強い抑止効果がある。

アメリカの様な広い国では日本の様に警察の目が行き届かない。だから「銃を持つ事は自衛権だ」との主張には一定の支持があり、銃規制は進まない。

銃による悲惨な事件が起こるのは大問題だが、かといって銃の所持を禁止したら「ならず者」が安心して強盗、殺人をし始めるかもしれず、最終的にはどちらの被害の方がより少ないか、よりマシかという選択になってしまう。「みんなが銃を持たなければよい」などという能天気な人もいるだろうが、ならず者はどこからでも銃を入手する。手作りだって可能だ。

だから治安のためには誰かが必ず銃(武器)を持たなければならない。アメリカはそれが個人にも認められており、日本では警察にしか認められていないという違いだけだ。

今の世界情勢は、アメリカ 社会よりももっと警察のいない無法地帯みたいなものだ。アメリカが世界の警察官を辞退したあと唯一、世界警察の役を担えるはずの国連安保理は全く役に立たない。なぜならその安保理で警察官に相当する常任理事国に、たちの悪い強盗殺人犯が混じっている様なものだからだ。

その上その常任理事国である強盗殺人犯が「拒否権」というあり得ない特権で自分を擁護しながら堂々と強盗殺人しているのだから、こんな組織は無い方がよっぽどましだ。これを早急に解消しないと国連の存在意義さえ問われるが、どうにもならないのが現状だろう。とりあえずの最善は安保理の解散、または無力化だろう。安全保障の重大事案は国連総会が多数決で決めればよい。ただし国連の多数決も問題だが。超大国と矮小国が同じ一票と言うのは悪平等だ。拠出金や人口に基づいた投票口数を割り当てるべきだろう。このあたりの改革をしないといけないのは誰でもわかっていると思うが、全く改革は進まない。

このような無法地帯と化した世界情勢の中で、まさに「みんなが核兵器を持った方が良いのではないか?」という選択に迫られている。みんなが核兵器を捨てる、という選択肢も理屈の上ではあるが、ロシアやアメリカその他の核保有国が手放すはずがない。保有国には特にロシアの様な狂った国もある。さらに他の保有国が将来にわたり狂わないという保証もない。ゴジラや宇宙人の襲来、巨大隕石などから地球を守るためには、一定数の核兵器は国際管理で保持しておかなくてはならないという側面もある。

このような状況を打開し、全面核戦争で人類や他の生物の絶滅を防ぐには核不拡散条約を廃止し「核兵器の所持は各国の自衛権、生存権で保証された権利である」とすればよい。

そうすれば核武装した隣国に不安を持つ国は核兵器を持ちたいと思うだろう。そして生き残るためには絶対そうするべきなのだ。無法地帯である現在の世界情勢を日本社会の様に「警察により高度に治安が確保されている世界にする」という方向も当然有りだと思う。しかしそのためには世界政府、世界警察、世界軍の創設が必要だが道のりが長すぎる。そこに行きつく前に全面核戦争で人類が絶滅する可能性が高いと思う。

現在の国連や安保理が自浄作用で自己改革出来ないのなら、世界中で第二、第三のウクライナを作らないためにも早急に核不拡散体制を解消し、各国が独自核武装をする世界を目指すべきだ。戦争を防ぐ手段として現在のNATOの様な大規模な集団安全保障体制は有効だろう。しかしこれの戦争抑止効果は大きいものの、一つ間違うと全面核戦争を招きかねず人類や多くの生物が滅亡する危機を招く。このリスクはどんなに小さくても絶対に排除しなくてはならない。それは地球に住む生命全体に対しての人類の絶対的な義務でもある。


4. 核兵器が拡散した世界

多くの国が核兵器を持てば小規模な核使用のリスクは確実に増大するだろう。しかし逆に人類の滅亡につながるような全面核戦争のリスクは大幅に減る。人類滅亡という最大のリスクが大幅に減るのなら小規模な核使用、核戦争はある程度容認しても良い、と言う論法も成り立つ。

この論理は少し乱暴ではあるが現実的だ。理想論ばかり掲げても世界全体の利益は守れない。世界がアメリカ社会の様になり、各国が独自で核武装して自衛する世界にするべきなのだ。その際には現在アメリカで起こっている銃所持による各種事件、事故発生の事態は予測して予防処置をしなくてはならない。しかしそれでも完全にゼロにはできない事は覚悟すべきだ。

核戦争はしない方が良いのは当たり前だが、ロシアの様な国から核兵器を取り上げるのは事実上不可能だ。現状は「キチガイに手に余る刃物」であり、正気ではない国が世界を滅亡させるだけの核兵器を持ってしまっている。この世界は風前の灯火だと認識しなくてはならない。

そして現実に他国を我が物顔で侵略し、破壊、殺戮を繰り返す。これに対しウクライナが自衛し、良識的な国が自衛を支援すれば「手を出すな」「ロシアが負けるくらいなら核兵器で世界を巻き添えにする」といったニュアンスの発言で世界を恐喝している

プーチンは理性と知性を無くしており、自分の余命が短い事もあり実際に世界を道ずれに破滅しかねず恐怖だ。現在は人類史上最悪の人類および地球生命全体の滅亡の危機だろう。

しかし「ならず者国家」が大量の核兵器を振り回し、それに対抗するために「NATO」の様に皆が核兵器を共有して立ち向かうと戦争抑止効果は大きいものの、いったん戦争になってしまうと全面核戦争になり、人類が滅亡する可能性が非常に高まる。だから大規模な集団安全保障体制はある意味、非常に危険なのだ。

それに比べ各国が独自に運用できる核兵器を持っていれば、それだけで「ならず者国家」に攻撃されることは無くなる。それでも万が一攻撃された場合には核兵器で「ならず者国家」に単独で報復できる。それにより侵略を中止させることも出来るだろう。これを妨害しているのが核不拡散体制だ。だからこれを何とかしなくてはならない。


. もしウクライナが核武装していたら、どうなっていたか

核武装していると知っていればロシアはウクライナを絶対に侵略することはなかった。しかしそれでは話が終了してしまうので、ここでは仮定の話として、それでもロシアがウクライナを侵略して主要都市の破壊、虐殺を始めてしまったと仮定してみよう。但しこれは実際にはほとんどあり得ないストーリーだ。

ウクライナはいくつかの対抗措置を取り、それでも解決せず国際社会(国連)の「核報復の許容基準」に達したと判断されれば、ウクライナは自国が受けた損害に加えてペナルティを含めた損害を与える核報復をロシアに対して行う事が許容される。ウクライナの損失が100兆円、20万人の死傷者、100万人の難民発生とすれば、ペナルティを含めれば、それの何倍かまでは許容されるだろう。どこまで許容されるかは事前に国連で決めておかなくてはならない。

ウクライナからの核報復に対してならず者国家は再報復の核攻撃をするかもしれないが、それ以外の国を核攻撃する理由がないので、いくら「ならず者国家」でもそこでとどまるだろう。つまり全面核戦争は回避できる。

一対一の関係になればロシアの核兵器数は、ある程度以上はいくら多くてもウクライナにとっては関係なくなる。おそらく着弾数で10発以上はいくら多くてもウクライナにとっては脅威の増大にはならない。過剰破壊はコスパが非常に悪いだけでなく他国からの非難激増が必至であり、広域環境破壊に対する国際的な損害賠償額が莫大になる。つまり軍事効果に対するマイナス面が過大になる。

このロシアに対する核戦力をバランスさせるに必要なウクライナ側の核ミサイル数は着弾数で10発程度であり、それで充分である。ロシアはNo.1~No.5の都市が壊滅的な破壊を受ければ戦争継続は無理だから、これで十分だ。そしてこれはほぼ全ての国に当てはまる。つまりすべての国が着弾数で10発程度の核ミサイル(200kt~2Mt)を持てばロシアに対する核抑止力はバランスする。

これはロシアにとっても世界全体を同時に相手に戦争をする仮定なら数千発の核兵器も必要かもしれないが、個々の国との単独戦争を前提とするなら必要な核兵器数は1/100程度になる。だから全ての国が核武装すればロシアも過剰な核兵器を保有する意味がなくなり、コスパの関係で放っておいても核兵器数を削減するだろう。これも世界の破滅を防ぐ大きな効果と言える。

話を戻してウクライナが例えばロシアのモスクワ(クレムリン)を報復核攻撃で消滅させたとしよう。ロシアは再核報復でウクライナを核攻撃するだろうか。核攻撃するとしばらくは利用不可能な土地となるので「領土が欲しいから侵略する」という本来の目的の価値を損ねる。だから再核報復の実行はあまり意味がない。しかしロシアの様な非合理な判断、行動をする国は再核報復するかもしれない。

それでもウクライナの方が有利に事を進めることが出来る。最初のウクライナ首都侵略開始からモスクワ報復核攻撃まで少し時間をおき、その間に自国民を外国やシェルターや地方村落、山間部に避難させる。その後モスクワ攻撃すれば、その再報復でウクライナ都市が攻撃されても被害が少ない。

核爆発の死の灰被害はロシアや周辺各国にも及ぶので、周辺各国やロシア国内からの反発も大きいだろう。損害賠償請求額は莫大だ。多少でも理性のある戦争指導部なら侵略国側からの再核報復はしないだろう。国際社会から「核報復もやむおえない」とお墨付きをもらっているウクライナとは立場が違う。

それに再報復したら、今度は再々報復でロシアの第二、第三、第四の都市が次々と消滅していき、自国民の犠牲者が数百万、数千万人と増大していけば、いくら凶気のロシアといえどもそうそう攻撃できないだろう。こうなるとプーチンといえど、ウクライナから手を引くだろう。

一方、ウクライナの核報復は正当化される。国連で認められた報復基準にのっとっていれば、一部の親ロシア国を除けば非難されることはない。自国民が理不尽に殺されるのを食い止めるためなら自衛権、生存権の行使でもある。他に有効な防衛手段が無ければ正当防衛だ。

ただし正当防衛が国際的に認められる状況を十分に作っておく必要がある。少なくとも国連で侵略国ロシアを非難する決議が必要だ。本来は安保理の出番だろうが、拒否権を認めている安保理は機能しない。

核を使うにしてもまず前線で戦術核で応戦すべき、というのはありえない。自国内で核兵器を使えば自国への二次被害が甚大だ。核報復は相手国の政治、経済の中心都市への攻撃に限定されるだろう。


6. 結論

ウクライナ侵略への対応でアメリカやNATOが介入したら全面核戦争のリスクが上がる。だからそれよりは単独核報復の方がマシなので、国際社会も各国の核兵器所持と正当な理由がある場合の単独核報復を認めるべきだ。国連はこの核報復が許容される基準を作成し、周知させておくことになる。

今回のロシアの行為は一方的な侵略行為で目に余る破壊、殺戮があったのだから核報復も十分に認められる事例だ。

各国が核武装する場合、無条件で認める事はダメだろう。例えばアメリカ国民であっても、誰でも無条件に銃を持てるわけではない。同様に国家の核保有は国連に認定機関を作り、審査をして核保有しても問題ないと判断されれば核保有が許されるようにすべきだろう。またその状態の維持確認のために有効期間を設け、更新を義務付けるべきだ。これはもちろん現在の核保有国にも適用される。それを認めないという核保有国が有れば、その条件まで全ての国の核保有条件もレベルを下げることになる。すると現在の核保有国も脅威が増大するから、ある程度の査察は受け入れざるを得ないだろう。

戦争の当事国や周囲の国に対する戦後処理のルールも厳密に定めて明文化しておかなければならない。そのルールに従って戦後賠償、復興等が粛々と行われる必要がある。これを実行するためには守らない者に対する厳しいペナルティ規定も必要だ。

核兵器の開発を各国独自で行うのはコスト、能力、開発期間の点で合理的ではない。アメリカや北朝鮮や中国、フランス等が(できれば日本も)運搬手段とセットで販売すればよいだろう。いろいろな国から調達可能とすることでコストを下げ、ひも付きにされるリスクを下げる。各国が独自判断で使えなければ意味がない。また抑止力を持たせるには相手国を破壊できるだけの十分な破壊力の物量も必要だ。核兵器は比較的低コストでこの物量が得られる。

一番の問題点は核兵器がテロ組織やテロ国家の手に落ちない様に管理できるかどうかだ。しかしこの問題は現状でも当然存在する深刻な問題だ。これについては核の拡散の問題とは切り離して対策を考えなくてはならない。核の起爆装置に安全遮断回路を設け、AIにより正当な起爆指示かテロリストの指示かを判断させるなどの対策が考えられる。

各国に核兵器を配備する能力が無ければ、国連がそれを請け負うのも一法だ。国連の決めた基準に達していれば、当事国の要請により核報復を代行する。このシステムが採用できれば世界軍隊、世界警察、世界政府樹立への道筋も見えてくる。

戦後処理ではロシアが与えた損害賠償と慰謝料等からウクライナの報復核攻撃での損害を差し引き、賠償額を決めるべきだ。そうすればウクライナにも相手方の一般国民の被害が自国のそれを上回らない程度にする配慮は働く。今頃、ウクライナはモスクワ核攻撃に向けて準備しているかもしれない。ロシアはいい加減に横暴をやめないと悲惨な結果を招くよ。

各国が独自で核武装するのが有効なのは日本も同じだ。北朝鮮、中国等の脅威に対抗できるのは日本独自での核武装しかない。実際に事が起こっても同盟国アメリカが核で報復してくれる可能性はないと思った方が良い。相手国もそう判断しているはずなので、日本に核攻撃してくる可能性は十分にありうるだろう。その場合、一発で100万人程度の死者が出る可能性が高い。そうなっても日本は抗議するくらいしかできず泣き寝入りだ。これを防ぐことが出来るのは日本の核武装しかない。

日本では危機意識の無い人たちが「非核三原則」だとか「広島、長崎」がどうのこうのと核武装に反対してくるだろうが、我々が生き延びるためにはそのような障害を乗り越えて核武装を達成するべきだ。

外交交渉で戦争を回避するべきだなどと綺麗ごとを言う人もいるだろうが、それは相手がまともな人間、まともな国家だった場合である。実際に現在のロシアの言動を見ていればそんな呑気な事は言えないだろう。北朝鮮も同様だ。将来的にはもっと危険な狂った強盗国家が誕生するかもしれない。相手が交渉する気のない強盗国家や狂人相手の場合にどうするかが重要なのだ。





その他雑談


かねてからの私の持論(日本の生き残り戦略)だが、日本の住居、都市はすべて地下50m以下に構築した大規模地下都市に移してしまうのがベストだと思う。この方法でのみ気候変動や巨大隕石、戦争などあらゆる脅威から、かなり完璧に防御できるだろう。ただしこれの建設には完了まで数百年かかるかもしれないから、これだけに頼るのはだめだろう。やはり前記1~3で当面は対処しなくてはならない。

しかし世界政府ができたり、日本が核武装したとしても100%侵略を防ぐことは困難だ。狂気の国には合理的な判断力を期待できない。日本に核攻撃すれば自国が滅びるとわかっていても攻撃してくる事態を排除しきれない。可能性は低くてもこの間違いが起こると日本の総人口の三割(四千万人)が死傷しで大都市は壊滅、生産能力も半減なんて事も容易に想定されるだろう。しかしこれは絶対に避けたい。また気候変動、大地震、巨大隕石などの天変地異からの脅威からも効果的な防御をしたい。

これらを考えると最終的には地下居住計画しか地球上では有効手段が無いように思う。ウクライナの惨状を見ると、もっと国防に金と資源を投入するべきだと思う。どんなに大切に築いてきた国土、平和で幸福な社会、快適なインフラだって狂気の国、指導者にかかれば一瞬で破壊されうる。後でこうしておけばよかったと後悔しても遅い。

防衛には戦力も必要だが、これはコスパの高い核武装程度にしておき、大部分の投資は地下居住区の建設に向けるべきだ。戦力の保持は他国の侵略に対する抑止力以外には何も生み出さないが、地下居住区は防御以外にもいっぱいメリットがある。特に省エネ防災的な効果が大きく、投資効果が絶大だ。


別ページへリンク  → 地下居住計画の提案


まず抑止力が効かずに大規模核戦争になったとしても地下居住区なら被害を食い止めることが可能。地上軍がきても簡単に撃退できる。例えば地下居住区に攻め込もうとする敵軍隊に対しては通常兵器で防ぎきれなければ臨界中性子放出や核爆発で撃退できる。

さらに巨大隕石や大規模な気候変動、毒ガス、パンデミック(病気)に対しても唯一、完璧に近い防御ができる方法だ。

また冷暖房や照明などに必要なエネルギーが約1/10ですむ。凝縮されたコミュニテイなので移動に要するエネルギーも約1/10で済む。これなら石油等を輸入しなくても水力、太陽光、風力だけで十分にやっていける。

凝縮された閉鎖系の地下居住区は資源の再利用を100%近くに持っていける。そのため多くの資源も輸入に頼る必要がなくなる。完全な自給自足社会が実現する。




場外編

汝の敵を愛せよ、なーんちゃってキリスト教徒みたいなことを言ってみたが、私は全くキリスト教徒ではないし、かといって仏教徒でもない。強いてどれか宗教を選べと言われたら日本古来の神道かな~。一番楽しそうだし夢がある。

キリスト教やその系統の宗教が、いくら布教で頑張っても日本でマジョリティをとれないのは、モーゼの「十戒」あたりを見れば理由がすぐにわかる。これの一番の文句は「神は私だけ。他に神はいない」。これは何と傲慢で心の狭い教えだろう。こんな事を言ってたら日本では大きなブーイングが起きるのは当然だ。「うちのトイレの神様は?」「おらが村の神社の神様はどうしてくれる」「天照大神をばかにするな」etc--

また偶像を崇拝してはならない、というのも心が狭い。日本人は偶像(アイドル)が大好きなのだ。どこにでもお地蔵さんや仏像であふれている。十戒とか何とかの福音書には良いことも書いてあるが、この二つは全く頂けない。さらに神の名をみだりに唱えるなとか安息日を守れなども「どーでもいいでしょ」と言いたくなる。「父母を敬え」もケースバイケースでしょ。敬えない、敬うべきでない父母だっていっぱいいる。そんなのあたりまえ。

汝 殺すなかれ、汝 盗むなかれもキリスト教に教えられなくても当たり前の事だし。だからモーゼの十戒には何も価値を感じないな。こんなのをありがたがる人なんているんだろうか?  こんなわがままで傲慢な神の人気が高くなるとは思えない。それが日本におけるキリスト教その他一神教の立ち位置だ。

しかし「汝の敵を愛せよ」だけは際立った独自性のある教えだ。しかしこれはきれいごと。むり。ありえない。そういえば高校生の頃これをテーマにした「氷点」(三浦綾子)という小説を愛読した。あれはよくできたストーリで面白かった。すごくよかったから、なぜか「続 氷点」は読みたくなかった。陽子が死ななかった事だけ確認出来たら安心して「続 氷点」は終わりにした。

長編だったので読むのにすごくエネルギーを消耗したから気力が残っていなかった? それ以降のストーリーは私には不要だった? あの小説で覚えた新しい言葉は「めんこい」「クランケ」「メッチェン」「リーベ」「ベーゼ」「チョンガ―」あたりか。登場人物の会話も知らない言葉が多く勉強になった。

三浦綾子さんの「氷点」に陶酔していた高校三年生だった。かな?今思えば小学校高学年から高校生までは結構小説を読んだな。小学4年の十五少年漂流記に始まり、巌窟王、嵐が丘、カラマーゾフの兄弟、ある愛の詩、小松左京、星新一、半村良、庄司薫 - - - 。でも高校を卒業してからは全く読んでいない。あの頃は読みたくて読んでいたというよりも一種の義務感みたいな感じで読んでいただけのような気がする。小説は読んでおくべきものだ、という刷り込みがあった。それから解放されて「氷点」は私の最後の小説になった。

むかし結構惹かれた小説に室生犀星(むろう さいせい)の「蜜のあわれ」があった。この話はストーリーがとんでもなく飛躍するので映画化は無理だろうといわれていたが、数年前に映画化された。二階堂ふみさんが金魚役で面白かった。自在に金魚と人間の姿が入れ替わるので映像化が困難かと思ったが、まああれはあれでよいか。死期を自覚した老作家の倒錯した世界が幻想的に描かれている。







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