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最近想う事

最近、想う事    2023年/03月/23日   


光陰矢の如し。私の周りの時間が急加速(私の時間速度が急減速?)する中、色々と思った事を書き留めてみます。


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飼い主の1961年のおぞましい記憶。彼の蛾恐怖症の原点はこれか、それとも毒蛾大発生事件か?これは本人にも分からないらしい。幼稚園時代は大きな蛾で遊んでいた。思い出すとゾッとするそうだ。

1.LEDランプによる照明革命

近年の最大のトピックはLED照明の普及ではなかろうか。長年、私の最大の敵は「蛾」だった。そう、上の写真みたいなやつだけど、普通の蛾はこれより小さい。それでも私にとってこれほど恐怖の存在は他になかった。気持ち悪さを例えると、蛇やカエルやミミズを1とすれば蛾は10000000倍以上だろう。

夏や秋はこいつらが出てくる。夏秋の夜は絶対出歩けない。かといって昼間でも壁に張り付いていたりするから気が抜けない。私が絶対にバイクに乗らないのは奴らと遭遇、衝突するのが恐怖だからだ。絶対事故るね。飼い主がインドア派である理由の大半が蛾のせいだ。.

私はいつか環境大臣にでもなって日本中から蛾を駆逐したいと半ば本気で思っていた。バカ

しかしそんな事をしなくてもLEDライトがこの問題を見事に解決してくれた。奴らは紫外線めがけて飛んでくる。蛍光灯も水銀灯も電球やロウソクでさえ紫外線を出すので奴らがやってくる。飛んで火に入る夏の虫、は気持ち悪い。蛾の焼身自殺を想像すると悪寒がする

しかし照明用LEDライトは紫外線がゼロだ。だから蛾には見えず、従って飛んでこない。この効果は絶大だった。私の町の街灯がほぼすべてLEDライトに変わった。すると見事に蛾は一匹も集まらなくなった(少し誇張あり)。水銀灯や蛍光灯だったころは夏の夜になれば無数の虫が街灯に渦巻き、その大半が蛾だった。それが一匹もいなくなったのだ。これは画期的だった。メリットは測り知れない

①大嫌いな蛾がいなくなった。特に大型で桁違いに恐怖のヤママユオオミズアオはまったく見ない。モスラも最近見かけないなー。以前は国会議事堂にマユを作ったりしていたけど(下はその時の様子)


②集まった虫を食べていた鳥たちが来なくなった。最近はカラスも鳩もほとんど見かけない。まあこれはゴミ捨て場へのネット設置が原因かもしれないけど。スズメやメジロあたりは来てほしいんだけど、仕方ないか。そういえば夕方の街灯にはコウモリが虫を食べによく来ていたが、最近は見かけないなー。コウモリはヒラヒラと独特な飛び方ですぐわかるね LEDライトが生態系を変えた、というよりは従来の街灯が乱していた生態系を元に戻したというべきだろう

蜘蛛(クモ)があまり巣を張らない。また虫の死骸も無くなり町がきれいになった。これもすごく助かるー   また街灯が蛾の繁殖場所になっていたから、我が家の庭木に毛虫が毎年発生し、樹が喰われた。これも今後は減少すると期待している。

④電気代、ランプ交換費用が恐らく半分以下になっているだろう。これには増税を抑制する効果がある。温室効果ガス低減に対する貢献も多大だ。

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国会議事堂にマユを作っている超大型の蛾モスラ。もち、マユを作っているのは親の蛾ではなく幼虫だが。蛾もある程度以上に大きくなると、むしろ気持ち悪さが低減する。一番恐怖なのは手のひらサイズくらいだろう。


更に効果的に蛾を遠ざけたのは自動車のヘッドライトがLEDランプになった事が大きい。夜に車で走っていても虫が突撃してこない。以前は自動車の前方は虫がいっぱいぶつかって汚くなっていたが、今は激減した。フロントウインドウにぶつかってつぶれるやつもほとんどいない。これまで運転していて大きな蛾が向かってくると思わず避けようと体が動いた。事故の元になりかねなかった。そしてつぶれた蛾はガラスに張り付いてワイパーではなかなか落ちない。かといって手でこすり落とすのは絶対いやだ。あーめちゃくちゃ気持ち悪い。そんな時代に比べ今は平和だ。ただし蛾との遭遇が完全にゼロになったわけではない。これはたぶんLEDヘッドライトではない車もまだ多数存在するからだろう。ほぼ全ての車がLEDランプになれば蛾にぶつかる事もたぶん無くなるだろう。

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不気味で醜悪な生き物。我々人類や哺乳類とは地球における出自が全く違うと思う。構造があまりにも違うから宇宙から来たという説もあったような - - 化石で進化の過程がたどれないらしい。ある年代に突然現れている様に見えるとか
毛虫が成長して蛾になるが、それには悲壮な設計思想を感じる。なんと多くの蛾には口が無く飲み食いできない。幼虫時代に蓄えていた養分と水分だけで生きなくてはならず、どんなに頑張っても1週間程度の命だ。その間で繁殖行動を終わらせ死ぬ。まるで片道燃料で飛び立った神風特攻隊みたいなもんだ。(話は変わるけど神風特攻隊の皆さんの様々な想いを後世の我々は決して忘れてはならない)

LEDランプが蛾を呼び寄せない功績は絶大だったが、それでもLED照明の一番の功績は省エネだろう。電球は効率がせいぜい15~20Lm/wで寿命も短い。なおLm/w(ルーメン・パー・ワット)とは電力1ワットあたり、どれだけ明るいかを指す数値だ。蛍光灯は約70Lm/w、水銀灯も同程度、メタルハライドランプで100Lm/w程度。しかしLEDランプは150Lm/w程度であり、さらに改良が進み200Lm/wに迫る勢いだ。なんと白熱電球(ハロゲン含む)の10倍に達している。同じ明るさでの電力消費で言えば1/10だ。

そして小さく長寿命、耐振、耐衝撃性が非常に強い。演色性(色の見え方。Ra80あれば優秀)が良い。高輝度なので集光鏡やレンズを使えば遠方まで光が届く。低電圧で駆動できる。応答性が極端に速い、などなど光源に要求される要件をほとんど高度に満たしている。おまけに前記したように紫外線を出さない。これは防虫だけでなく肌や目にも害が少ない。衣類やプラスチック製品の劣化、退色も激減する。だから一般照明はもちろん美術館やブティック等の照明にも適している。

前記したメタルハライドランプなどは発光効率だけ見れば極端には見劣りしなくても、点灯に数十秒もかかったり、大きかったり、高電圧が必要だったり、強い紫外線が出たりなどトータルで見ると全くLEDランプの敵ではない。ナトリウムランプはLEDに匹敵する発光効率を持つが、メタルハライドランプ同様の欠点に加え黄色光だから現在ではほとんど用途が無い。昔はトンネル照明にある程度は使われていたけど今ではお役御免だ。夜景のきれいさでは黄色のランプも混じってた方が良いけどね。白色光だけの夜景なんてつまらない。このあたりは照明の合理性から外れるので対策は行政の役目だ。もちろんLEDランプで黄色光その他の色を出すのは簡単だ。

点灯寿命に関しても従来の白熱電球は寿命1000時間。蛍光灯で6000時間。それに比べLEDは5万時間にも及ぶ。これは器具の設計思想も根本的に変える。従来の照明器具はランプ交換ができることが必須だったが、LEDの場合はランプ交換を前提としない照明器具が可能であり、デザインの自由度が格段に上がった。コンパクトで薄く、すっきりした照明器具が増えた。

我が家もLEDに変えてすごくよかったと思うのは玄関灯、裏口灯などの常夜灯だ。これは地域サービス、防犯も兼ねて夜通し点灯している。従来は蛍光灯で1~2年でランプ交換していたが、LEDで実質的に交換不要となった。10年以上交換不要だから次のリフォームで器具ごと交換、というスタンスでよい。また明るい。同じ程度の消費電力なら蛍光灯の倍の明るさだ。それに虫が寄ってこないし蜘蛛も巣を張らない。メンテナンスフリーで綺麗だ。

室内の天井灯(シーリングライト)もLEDは良い。効率、演色性、寿命は文句ないし、調光能力がすごい。明るさは大きく変化できるし色温度も変更できる。蛍光灯時代には考えられなかった事だ。さらに蛍光灯時代はどこからか器具の中に小さい虫が侵入し、乳白色カバーの中に溜まっていたが、それも一切なくなった。紫外線で器具が劣化、変色することも無く、いつまでも新品同様だ。

さらにLEDランプの応答性の速さは圧倒的だ。まさに瞬時に点灯する。これは自動車のブレーキランプに採用すれば追突事故を減らす効果がある。更に高速応答性を利用してその光に各種データを載せることも可能だろう。人の目には明るさの変化は見えないのに、自動車のヘッドライトやバックライトに信号を乗せて他の車にメッセージを送ることもできそうだ。信号機のライトに情報を乗せて、信号にせまる車に「あと6秒で信号が変わるよ」とか「信号無視の車が左から出てくるぞ!」といったメッセージを送ることも可能だと思う。ただこれは自車単独では成立せず社会システムとして取り入れる必要があり、ややハードルが高い。

LEDの輝度(まぶしさの度合い)が高いのは高い発光効率に並ぶ最大級のメリットだ。輝度の低いELや蛍光灯などはいくら他の特性が良くても用途が大幅に限定される。輝度が高ければ反射鏡やレンズで光を自由にコントロールできる。自動車のヘッドライトの様に遠方まで光を飛ばすのは極めて輝度の高い光源でなくては絶対にできない。街灯だってLEDなら光をコントロールできるから照らしたいところだけ照らせる。不用なところに光が行かないから光の無駄がなく、この観点でも大幅な省電力になる。更に漏れた光が街の夜空を明るくしてしまい、星が見えなくなるという光害も減らせる。

LEDは輝度が高いから目の瞳孔が小さくなり実際より暗く感じるというアンチLED派もいたが、言いがかりに近い。輝度は上げることは絶対にできないが、下げることは簡単だ。乳白色のカバーをかけたり間接照明にする事で自由に最適な輝度にできる。実際、市販の照明器具はその様になっており、輝度が高すぎて困る、などという事はない。

とにかくLEDライトのメリットは絶大だ。少なくとも屋外や屋外に光が漏れる場所の照明には蛾を呼ぶ従来の管球ランプなどは絶対に使ってほしくない。省エネ、環境問題から見ても従来の管球ランプ照明の時代は完全に終わった。しかし何でもマニアックなユーザーはいるもので、照明も効率を無視した管球ランプ信者が残るかもしれないが。奥飛騨温泉郷の平湯温泉にある「もずも」は個室露天風呂が付いた旅館でお気に入りではあるんだけど、照明がまだ蛍光灯であり盛大に蛾を呼び寄せる。前回、露天風呂に蛾が浮いていたので、もう行けなくなった。LED照明に全部変わったらまた行きたい。輝度は下げることはできても絶対に上げることはできない、というのはこの世界を支配する最も重要な物理法則が如実に現れたものだ。「熱力学第二法則、別名エントロピー増大の法則」。なぜかは分からないが、我々がこの法則に逆らう事は経験上、絶対に出来ない。蛍光灯の低輝度光でもレンズで集めれば輝度が上がるのではないか、と考える人もいるが、どんなことをしても輝度は絶対に上がらない。そのくらい高輝度というのは貴重なのだ。


2.ヒートポンプによる高効率熱源

省エネに関しての、もう一つのトピックはヒートポンプだろう。いわゆるエアコンだ。これの熱源としての効率は凄まじい。普通の電気ストーブ(熱源はハロゲンやカーボンヒータ)やオイルヒータなどと称する電熱暖房器に比べ同じ熱量なら消費電力は1/3~1/5で済む。これは比較にならない。ヒートポンプを使わずに電熱を暖房に使うのは環境に対する犯罪的行為だ。もちろん自分の財布にも厳しい。

電熱ヒータはスポット的な短時間使用ならまだしも、部屋全体の暖房が前提のオイルヒーターは環境犯罪だ。電気代も同じ暖房効果ならエアコンが月1万円以下としたら月3万円をこえる。行政はこの点をもっと啓蒙、周知させてメーカーも指導し、電熱暖房機器の販売を抑制又は禁止してヒートポンプへの移行を促進すべきだろう。ヒートポンプの燃費経済性は重油ストーブすらしのぐ。温室効果ガス排出量はたぶん1/3以下ではないか。これはさらに電源の火力依存度が減ればゼロに近づいていく。CO2排出抑制の立場からも業界の圧力を排して電熱暖房器の排除を断行すべきだ。

ヒートポンプ式の給湯器であるエコキュートは深夜電力と組み合わせれば1/10近いコストでお湯をだしてくれた。(ただし深夜電力料金1/3価格は最近、見直しがかかっているようだが)

でもねー、と私は自分の行いを「これでいいのか?」と問いかけてしまう。LEDランプに変えて電気代が下がったら安心して1年中24時間照明はつけっぱなし。エアコンも効率が良いからと1年中、24時間運転しっぱなし。これではそれぞれの機器の効率が上がっても、結果的に省エネにも温室効果ガス削減にも貢献できていないんではなかろうか?

でもめんどくさがりの私は「何とかしなくっちゃ」などとは本気では考えてなかったりする。この性格は何とかならないか?

まあそれは置いといて、産業用で今後のヒートポンプを積極的に応用すべき分野は温室だろう。日本の温室栽培のイチゴ等に世界の批判の目が注がれつつある。イチゴ自体は素晴らしいが、そのために環境破壊(暖房で温室効果ガス排出)するのはどうなんだ?という問いだ。これに対する解の一つがヒートポンプで温室を暖房する事だろう。ヒートポンプで直接暖房するのも効果的だが、さらには深夜電力とエコキュートで熱水にして熱エネルギーを貯めておく。これに加え太陽熱温水器も利用するのが良い。この蓄えた熱水で温室暖房すれば経済的かつ温室効果ガス削減効果が大きい。そんな事をしなくても露地物で旬の果物だけ食べてりゃ良い、という主張もあるだろう。でも人の欲望は果てしない。「一年中いちごが食べたい」というわがままは消えない。このわがままに応えるのが文明であり科学技術の存在意義なのだ

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究極的なエコの話をすれば、私は地下50m以下に地下都市を作り、日本国民全員そこで暮らすべきだという持論を持っている。そこは年中20℃程度(ほぼその場所の年平均気温)であり、冷暖房費はほとんどかからない。おまけに核戦争や巨大隕石の落下、巨大津波、巨大地震にもびくともしない。安全快適なうえエネルギー消費は1/10以下になるだろう。
地下居住区1


地下居住区2



3.私がなぜか最近忙しいという問題

今思えば昔はゆったりしていた。仕事に追われるというほどでもなく、ある程度好きなことも出来ていたと思う。無理やり好きなことをしていた、と言う人もいる。好きな事しかしなかった、と言う人もいる

日曜大工で家の改造をしてみたり、水槽で海水魚を飼ってみたり池を作って魚を飼ったり、色々な樹を植えてみたり。今思えば楽しい日々だったかも。

最近はやるべき仕事がこなせない。常に遅れている。取り組めていないアイテムも多い。やりたいこと、やらねばならない事が多すぎる。なぜこんな事になったのだろう?

やらなければならないことはお客さんの要望や社内からの要望に応えて日々がんばる事。でも納期に合わせて仕事をする事はいつまでたっても不得意だ。

やりたいこと→3D-CAD習得、Pythonあたりでプログラミング、Webページの全面更新、新技術アイデアの実行 - - - でも全然進まない。

自分では気づかないが、私の処理能力が落ちているのだろうか?だとしたら怖い事だ。でも周囲を見るとみんな年を取ると処理能力が落ちているように見える。私だけが例外と考える方が不自然だろう。

年を取るほど、時のたつのが異常に速く感じる、とはよく言われるが、周囲の時の流れに対して自分の処理速度、つまり時間速度が遅くなったために相対的に周囲の時間速度が速くなったと感じるのだろう。

でも性格もあるよねー。忙しいんなら、こんなくだらないブログなんか書いてんじゃないよ、と言われそうだ。











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